なまこマンの毎日ゲーム宣言!

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2026/04/05 本日正午に投稿予定だった記事の投稿は、明日(2026年4月6日)にずれこみます。間に合ったので本日17時に投稿します。

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【なまこマンの読書メーターアーカイブ】読書習慣を付けたかった頃に読んだ本まとめ【後編】

数年前、「暇さえあればスマホを開き、動画ばかり見ている」という自分の習慣に思うところがあり、読書を習慣にしようと思っていた時期がありました。

最近また、改めて読書習慣をつけたいと思うようになったので、当ブログでも時々、読んだ本の感想を投稿していくことにします。

それに先立ち、かつて読書習慣を付けたかった頃に読んだ様々な本の感想を改めて語っていくことにしました。長くなったので、前編と後編に分けて投稿しました。今回は後編です。

◆前編はこちら↓

namakoman.hatenablog.jp

(※この記事は過去にメインブログに投稿していた記事を修正・再構成したものです。)

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え

表紙の写真を撮るのを忘れていました!

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
ダイヤモンド社
岸見一郎、古賀史健・著

フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される哲学者・アドラーの考え方を、青年と哲学者との対話という形でわかりやすく伝える本です。

……ですが、そもそもアドラー心理学自体がなかなか難解な考え方であり、本文中にも様々な考え方が次々に登場するので、最初は咀嚼するのが大変でした。

この本では初っ端から「人間の行動には原因があるのではなく、目的のために人間は行動する」と、現代の我々が当たり前のように信じている原因論を否定してきます。

例えば「カフェで服に飲み物を引っかけられたので、引っかけてきた相手に怒鳴る」という行動をとったとき、原因論的な考え方では「飲み物を引っかけられたから怒った」ということになるのですが、アドラーの考え方では「怒鳴るために『怒り』という感情を作り出した」ということになります。

このように、読めば読むほど常識だと思っていたことが音を立てて壊れていきます。今まで、本を読むときにメモをとることはなかったのですが、この本はいかんせん様々な教えが登場するので、読みながらメモをとりました。そして、自分なりに咀嚼してみました。すると、そこには現代社会の「なんだか生きづらい」と感じる閉塞感を打ち破るヒントを得られたような気がしました。

個人的に重要だと思ったキーワードは「課題の分離」です。これは「自分が為すべきことと、相手が為すべきこととを混同しない」という意味です。アドラー心理学では人間の悩みの原因は対人関係にあるとしていますが、対人関係においてトラブルが生じる一因に、課題の混同があります。要は、相手を思い通りに動かそうとするとトラブルが生じるということです。

自分が何か働きかけをしても、それに対して相手がどういう印象を抱くかはあくまで「相手の課題」です。この考え方は昨今のSNS社会によく効く考え方だと思います。承認欲求に支配されたり、相手の視線が気になったりしますが、結局自分が何をしようと、相手が自分を好きになるかは「相手の課題」でしかないのです。承認欲求に関連して大小の失敗経験がたくさんある僕は、この考え方に救われた気がしました。

他にもたくさんの気付きがありましたが、書き連ねると記事の文字数がえらいことになってしまうのでとりあえずここまでにしておきます。折に触れて読み返したい本でした。アドラー心理学の考え方は、全てを完全に取り入れて生きるのは難しいかもしれませんが、それでも閉塞感を打ち破る「勇気」を与えてくれます。

戦没農民兵士の手紙

戦没農民兵士の手紙
岩波新書
岩手県農村文化懇談会・編

この本は図書館で借りたものではなく私物です。年季が入った見た目ですが、それもそのはず。1979年の刊行です。祖父母宅にあったもので、どうやら父が大学生の頃に読んでいたもののようです(最後のページに父の名前が書いてありました)

タイトルの通り、第二次世界大戦にて農村より徴兵され、故郷の土を再び踏むことの無いまま戦死した「戦没農民兵士」たちが家族に宛てた手紙の数々が掲載されています。そこにはふるさとに残した妻、子供、年老いた両親への確かな思いが、真っ直ぐな言葉で綴られていました。

当然ながら、この本に手紙が掲載された兵士たちは、元は農村で暮らす農民だったわけです。戦闘のプロというわけではありません。20代、30代という若さで死を遂げた彼らや、残された家族の無念を思うと言葉が出ません。戦争で傷つくのは一体誰なのかということを改めて考えさせられました。

冒頭のほうでは「大変な農業と比べて、軍隊での生活は楽なものだ」という内容の手紙が多かったのですが、章が進むにつれて戦況も悪化していき、手紙の内容も人を撃った話や、戦友が戦死を遂げた話、さらには「遺言状」へと移り変わっていきます…。最終章「死への行軍」の冒頭に載せられた手記「軍医への訴え」は特に衝撃的な内容でした。

手紙は検閲を受けるので、建前上は「お国のために散れるのは日本男児の誉れ」ということを書かざるをえませんでしたが、検閲を逃れて出された手紙というのも収録されており、それには家族を遺し逝く不安と後悔や、愛する妻に会えない悲しみなどが偽りなく書かれていました。

岩手県農村文化懇談会は、「戦争の証言に農民たちの魂の声を加えたい」という思いでこの本を出版したといいます。岩手県といえば、柳田國男が遠野物語を収集した土地でもあります。遠野物語はこれまで口伝のみで伝わり、記録として残されていなかった民衆の風俗を、初めて「史料」という形にしたものです。この本に収録された戦没農民兵士の手紙もまた、何よりも生々しく戦争の姿を伝える史料であり証言でした。

一方で、あとがきに記された当時の農村の現状を知ると、戦没農民兵士の手紙の数々はまた違った見え方をしてきます。当時の農村は貧しく、多忙で、子供が学習を受ける機会にも乏しい場所でした。そして、軍隊は様々な立場の人物が徴兵されることから、農村の男性にとっては軍隊教育という名の高等教育を受けたり、様々な考え方を持った外の世界の人々に触れたりできる場所でした。このことを踏まえて手紙を改めて見直すと、幼い子供に「うんと勉強しなさい」と呼びかけたり、家族に「軍隊は農業より楽だから心配ない」「〇〇円を送る」と呼びかけたりする手紙が多かったのは、農村の激務や貧困を如実に表していたといえます。もっとも、あとがきの部分には岩手県農村文化懇談会の主張も大いに入っている点には留意すべきですが。

終戦から80年以上経ち、第二次世界大戦を知る世代もどんどん亡くなられています。だからこそ、このような史料は受け継がれていくべきでしょう。知っているのと知らないのとでは、戦争に対して抱く感情も変わってくると思います。

青春18きっぷパーフェクトガイド2019-2020

青春18きっぷパーフェクトガイド2019-2020
イカロス出版
谷崎竜・著

あまり触れたことのない「鉄道趣味」に関する本を読んでみました。この本では青春18きっぷの仕組みや豆知識、各地のターミナル駅から青春18きっぷを活用した観光ルートなど、青春18きっぷ初心者の欲しい情報が簡潔に紹介されています。

タイトルの通り、古い情報なので現在のものとは価格もシステムも多少異なりますが*1、この本が伝える、青春18きっぷの旅の本質的な楽しみ方は今も変わりません。

現在、リニア中央新幹線の工事が進んでいます。これが完成すると、名古屋から品川までが40分で結ばれるといいます。ちょっとよくわからないぐらい速いです。リニア中央新幹線は極端すぎるにしても、今の日本は速達性の高い新幹線や飛行機が拠点間移動を担っています。早く着けば確かに、その分目的地での時間を長く使えます。

「タイパ」ことタイムパフォーマンスは大いに結構ですが、一方で、車窓を見ながらのんびりと移動する時間もまた旅情の一つだと思うのです。青春18きっぷの旅はまさにタイパの対極で、都市部から山間部までバラエティ豊かに移り変わっていく車窓の景色を楽しんだり、待ち時間の少ない接続良好な乗換駅を探したり、あるいは待ち時間にぶらり途中下車してご当地の味を楽しんだりなど、「普通列車で移動する時間を最大限に楽しむ旅」なのではないかと思いました。

鉄道好きが、鉄道のどこに魅力を感じているのかが少し分かった気がしました。時刻表を見て旅のスケジュールを決めることも、車窓の景色を楽しむことも、駅弁を楽しむことも、車両のデザインを楽しむことも、全部引っくるめて青春18きっぷで味わえる鉄道旅の魅力です。社会人となり、まとまった時間をとることが少し難しくなりましたが、機会があれば青春18きっぷでの長旅を試してみたいと思いました。

誤植読本

誤植読本
東京書籍
高橋輝次・著

タイトルが気になって借りてみました。近現代の文筆家たちの「誤植」にまつわるエピソードを集めたエッセイ集です。

作家や出版関係者たちにとって、原稿の校正作業というのは切っても切り離せないものです。原稿を活字にして印刷する際に生じる間違いは校正作業によって取り除かれていきますが、校正作業も人の手によるものなので、どうしても見落としがあり、全ての誤植を取り除くこともできないし、逆に校正の際に間違いが生じたりすることもあります。これは「校正畏るべし」と出版関係者や作家の間で言われています*2

原稿は作家が自ら書きますが、活字にして印刷するのは印刷所の人が行います。ゆえに作家の意図しない形に読み間違われて誤植が発生し、作家が歯がゆい思いをすることもあれば、杓子定規に校正されて、作者の意図したリズム感が崩れることもあります。一方で、憎むべき誤植によって面白い新たな解釈が生まれることもあるようです。

そんな、文字を扱う者にとって切っても切り離せない究極のあるあるネタが校正や誤植なのです。

この本は2000年に初版が発表されており、エピソードはそれよりもさらに古い時代のものなので、原稿が原稿用紙への手書きで、印刷が活版印刷だった時代の話が多分に含まれていると思われます。ゆえに「今はこういうことはやっていないんじゃないの?」と思うところもありましたが、今は今で原稿作成も入稿もデジタルで行われており、それはそれで、誤変換による誤植が大量に発生していそうです。

僕もブロガーという文字書きの端くれなので、誤字脱字に関する悲喜こもごものエピソードの数々は非常に興味深かったです。やはり、自分の意図したことが誤字脱字のせいで意図したとおりに伝わらないのは悔しいですね。誤字脱字が生じないように気をつけて書いているつもりではあるのですが、それでもたまに誤字脱字をしてしまいますし、気付いたら歯がゆく思いながらもこっそり直しています。この記事にも誤字が見つかりませんように!

……と思っていましたが、「読書習慣」「読書週間」にしていたことに気づいてしまい、投稿前に慌てて直しました。(でもまだ誤字があるんだろうなぁ…。)

異世界料理バトル

異世界料理バトル
双葉社
東国不動・著

いわゆる「なろう作品」です。サイト「小説家になろう」に投稿された作品が書籍化されたもので、3巻まで刊行されています。

内容としてはオーソドックスな「異世界転生・無双もの」です。とある高校の1つのクラスが「魔王と戦うための戦力」として丸ごとファンタジー世界に「英雄」として召喚されます。

友人たちが強烈な戦闘適性を持っていた中で、主人公の葛城隼人(ハヤト)の適性はありふれた「料理人」でした。しかし、料理が好きで食へのこだわりの強いハヤトにとって、料理人はむしろ願ったり叶ったりの天職で、現代日本の食の知識を武器に食堂を始めて繁盛させたり、S級料理人と呼ばれる凄腕の料理人との対決に勝利したりなど「無双」していきます。

この手の作品は、話が早いのが良いですね!異世界への召喚の経緯とか、深掘りしようと思えばもっと深掘りできるところだと思うのですが、「いいからさっさと無双させろ」と言わんばかりに、導入はハヤトのモノローグでどんどん進んでいきます。ですが、これはこれで、すっきりと設定や世界観が頭に入ってきます。あとは、表紙や挿絵のアルデヒドさん(イラストレーター)のイラストにも惹かれます。

このスピード感のまま、キャラクターたちが授かったチート能力や、現代日本の知識を武器に異世界で無双していくので、読んでいてある種の爽快感があります。世知辛い現代社会では、誰しも現在の暮らしに多少なりとも不満や鬱屈とした思いがあるでしょう。だからこそ、主人公が自分の適性や好きなことを武器に活躍し、英雄となっていくこの手の物語には、一定の需要があるのかもしれません。

「異世界料理バトル」というタイトルですが、1巻の時点では料理バトルらしいシーンはごく一部で、尺のほとんどがハヤトの料理人としての成功に割かれています。

心なしか、1巻序盤と終盤とでハヤトの人物像を比較すると、成功に調子に乗り始め、周りが見えなくなってきたようにも思えます。これが今後の「バトル」で鼻っ柱を折られ、そこから心を入れ替え再起する展開の布石となるのでしょうか。1巻だけを読んだ段階では物語があまりにも平板すぎたので、できたらそうであってほしいです。

なお、「小説家になろう」に投稿されている原作は、2017年3月で更新が止まっています。「完結済」のマークが無いのでおそらくは完結もしていないのでしょう…。

読んで味わう古典落語の傑作101噺と見て愉しむ江戸の暮らし

読んで味わう古典落語の傑作101噺と見て愉しむ江戸の暮らし
自由国民社
河合昌次・監修

今までの人生でほとんど触れたことのなかった「古典落語」に触れてみようと思い、借りてみました。

江戸時代から明治時代にかけて作られた古典落語の傑作が101噺チョイスされており、そのあらすじが紹介されています。さらに、一つ一つの噺から垣間見える江戸時代の人々の暮らしや文化についても紹介されています。粋を良しとする江戸っ子の精神性や、長屋での庶民の暮らし、遊郭・吉原での艶話など、古典落語の噺は江戸時代の世相や風俗を知っていればこそより楽しめますね。

落語はだじゃれのような言葉遊びのサゲ(オチ)やとんちの効いたサゲだけが多いのかと思いきや、時に「この先は本が破れているから言えない」というやや強引なサゲもあり、ウィットに富んだ笑いであるように思いました。こういうユーモアのセンスは現代にも通じますね。

落語がどういう方向性の笑いなのかを知ると、桂歌丸師匠がアキラ100%さんを引き合いに裸芸を否定したエピソードにも納得がいく気がします。生み出される「笑い」という結果は同じでも、話芸を極めた落語家から見れば、脱いで笑いを取るのは「反則」みたいに思えますよね。まあ、アキラさんの芸も落語とは別の方向性の職人芸だとは思いますが。

特に印象に残った噺は「たがや」という噺でした。殿様に啖呵を切っただけでは飽き足らず、「無礼者」と斬りかかってきた侍を返り討ちにして、殿様の首まで落としてしまうという、「風刺漫画でもここまではやらんだろう」というぐらい過激な展開でしたが、ここまで吹っ切れた展開だからこそ爽快感もありました。上に不満を持つのは、どの時代の民衆も同じなのですかね。

落語というのは噺の内容だけでなく、それぞれの落語家が噺をどのように演じるかも楽しめるものだといいます。お笑い芸人として20年以上芸歴を重ねた山崎邦正さんや世界のナベアツさんも、それぞれ月亭方正や桂三度として落語家に転身しています。落語には、笑いのプロも含めて、人を惹きつけてやまない魅力があるのでしょう。

あとがき

この読書記録は、2023年10月から12月にかけて、メインブログに「なまこマンの読書メーター」と題して投稿していたものを再構成しています。当時は「2024年も様々な本と出会いたいです。」と締めましたが、それから読書とはご無沙汰になってしまいました。何故やめてしまったのか、当時のブログ記事を読み返すと「ポケモンスカーレット・バイオレットのDLCをやりたいんです!!」と書いてあったので、まあ多分そういうことなのだと思います。

読書に限らず、「やります!」と書いてしまうと三日坊主のフラグになってしまう気はするのですが、それでも、本を読んで感じた、自分の知らない世界を知る快感は本物でした。本を手に取る度に、本が大好きだった少年時代を思い出すのです。

以前やろうとしたような、定期的に投稿する企画記事にはできないにしても、本を読むこと自体は今後の人生においても折に触れて続けるでしょう。その感想をアウトプットする場所として、今後もこのブログを活用していきたいと思います。

*1:この本が発売された2019年時点では、利用期間中の任意の日に5回まで利用できる券であり、利用期間内なら5回分は一度に連続して使用する必要がありませんでした。また、5回分のきっぷを分割して複数人で別々で利用することも可能でした。2024年冬季以降は、「3日間用」と「5日間用」の2種類が販売されており、いずれも購入時に指定した利用開始日から連続した3日間(もしくは5日間)限定で使用可能です。複数人で分け合うこともできません。(参考

*2:「後生畏るべし」という孔子の言葉のパロディです。なお、「後生畏るべし」というのは、「若い世代は将来の可能性に満ちているので、侮らず敬意を払うべき」という意味です。